慰霊の日に思い出す。強いおばーの泣き顔

アンリのあんまーるーむ_慰霊の日

こんにちは! 川満アンリです。

夏直前の蒸し暑さとベタベタする肌、ジンワリと蝉の声が聞こえはじめると、今年も6月がやってきたなと感じます。

6月の沖縄といえば、23日の慰霊の日。沖縄戦戦没者を追悼し世界平和を願う日です。
今回は、平和について改めて考えていきたいと思います。

慰霊の日とは

アンリのあんまーるーむ_慰霊の日

沖縄は第2次世界大戦で地上戦の場となり、多くの尊い命が失われました。その数、県民の4人に1人といわれています。そして、78年前の6月23日。地上戦が終結しました。
現在では6月23日は慰霊の日として沖縄県独自の休日となり、平和について学び考える一日になっています。

わたしも物心がついた頃から、毎年6月になると学校で平和学習として、戦争をテーマにしたアニメや歌を学んでいたので「戦争はこわいものだ」と感じていましたが、どこかに自分とはかけ離れた遠い昔の話のように思っている節もありました。そんなとき、戦争を身近に感じる体験をすることになりました。

強いおばーが流した涙

アンリのあんまーるーむ_慰霊の日

わたしが小学生の頃、糸満市摩文仁の平和祈念公園にある「平和の礎(いしじ)」におじーの名前が刻まれ、それをみんなで見に行った日の話です。

(平和の礎とは、県営平和祈念公園のホームページによると、「国籍や軍人、民間人の区別なく、沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑」で「太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設」されたものです。)

参考:平和の礎

何も聞かされていなかった私は、平和祈念公園にピクニックへいくものだと思っていました。家族や叔父叔母、従兄弟たちが揃っていて楽しいはずなのに、やけに重々しい空気がとても不思議だったこと、蒸し暑くベトベトした汗を流しながら駐車場から歩いているときに聞こえた蝉の声がとても印象的だったことを、今でもはっきりと思い出します。

歩いていると、新しく作られたばかりの礎の前で全員が立ち止まりました。そして突然おばーが何か言葉を発し、何度も強くそこに刻まれた名前を撫でていました。
何が起きたのかわからず戸惑いながらみんなの様子を見ていると、叔母や母もおばーのその姿を見て泣いていて、わたしはやっとこれがおじーの名前であることに気がつきました。

おじーは、戦争の後遺症で母が3歳の頃に亡くなったと聞いていました。しかしおじーの仏壇に写真が飾られていることは少なく、おばーはおじーの話をほとんどしなかったので、私はおじーの顔も名前も知りませんでした。

戦争の後遺症でおじーが亡くなったことが認められた日、おじーの名前が平和の礎に刻まれました。ピクニックに行ったと思っていたあの日、その名前を平和の礎で目にしたおばーは、改めておじーが戦争で奪われたことを実感したのかもしれません。

初めてみるおじーの名前と、普段は強いおばーの初めて見る泣き顔に胸がズキズキと痛み、何日も何日もこの日の出来事を考えました。そしてきっとおばーは、戦争の話もおじーの話もあまりしなかった・・のではなく、口にできなかったのだと後に理解しました。

その涙からどのくらい辛い思いや我慢をしてきたのだろう。考えれば考えるほど、壮絶だったのだと思います。

戦争は、生き残った方も永遠に苦しみ、その子孫も先祖の苦しみを感じ続ける「痛み」しか残しません。そして痛みは、永遠に癒えることはありません。

おばーから聞いた戦争の話

それから数年が経ったある日。学校の平和学習の一環で、「祖父母から戦争の話を聞いてくる」というものがありました。我が家ではタブーだったのでかなり迷いましたが、勇気を出して聞いてみました。

「おばー、戦争はこわかった?」母が驚いて話を変えようとしましたが、おばーが「アメリカーの捕虜になってから助かったさー」と、ほんの少しだけ、捕虜になったあとの話をしてくれました。たくさんたくさん逃げて助かった、という端と端だけの話。

おばーから聞けたのはこの一度だけ。胸の奥深くでつかえて言えない話が山ほどあって、でも孫の中でも一番年下の私から聞かれたことに向き合いつつ、怖がらないよう配慮しながら話してくれたんだと思います。

慰霊の日から考える、これから私たちができること

アンリのあんまーるーむ_慰霊の日

去年の6月、当時5歳だった娘が慰霊の日の平和学習で「月桃」の歌を覚えてきました。沖縄戦の悲しみを伝え、平和を祈る歌として県内各地で歌われている「月桃」。2022年6月には、西原運動公園に「月桃」の歌碑が建てられています。

「月桃」
作詞・作曲:海勢頭 豊

月桃揺れて 花咲けば
夏のたよりは 南風
緑は萌える うりずんの
ふるさとの夏

月桃白い 花のかんざし
村のはずれの 石垣に
手に取る人も 今はいない
ふるさとの夏

摩文仁の丘の祈りの歌に
夏の真昼は青い空
誓いの言葉 今も新たな
ふるさとの夏

海はまぶしい喜屋武の岬に
寄せくる波は 変わらねど
変わる果てない 浮世の情け
ふるさとの夏

六月二十三日待たず
月桃の花 散りました
長い長い 煙たなびく
ふるさとの夏

香れよ香れ 月桃の花
永遠に咲く身の 花ごころ
変わらぬ命 変わらぬ心
ふるさとの夏
ふるさとの夏

ウクライナ侵攻の中で…沖縄県民に愛される歌「月桃」に特別な思いを込めて|NHK

学校で聞いた戦争の話を自分なりに理解したようで、「ばーちゃんのマーマーが頑張って生きてくれたからばーちゃんが生まれて、そしてマーマーが生まれて、そして私が生まれたの?」と聞いてきました。「そうだよ」というと「よかった」と一言。本当にその通りだなって、私も改めて考えさせられました。

慰霊の日には、県内全域で正午の時報と共にサイレンが鳴り一分間の黙祷を捧げます。
黙祷は一分ですが、慰霊の日一日を通して、悲しみに触れ、心から平和を誓い、平和をつなげていく日にしたいものですね。

月桃の花のように、世界が穏やかでありますように。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

川満 アンリ

沖縄生まれ沖縄育ち、沖縄で子育てする6歳👧のママ🌺
39歳。美容学生。テレビや司会のお仕事。メイクアップ。ママ。好きなこと全力な毎日です!

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